「Plain, Simple, Useful (無駄なくシンプルで機能的)」 なデザインが生活の質を向上させると信じ、個人の生活空間から都市、社会までを広く視野に入れ、デザインによる変革に突き進んだサー・テレンス・コンラン(1931-2020)。
本展は、イギリスの生活文化に大きな変化をもたらし、デザインブームの火付け役にもなったコンランの人物像に迫る日本で初めての展覧会です。 |
会期: 2024 10/12 〔土〕→2025 1/5 〔月〕 |
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プレス内覧会 「テレンス・コンラン モダン・ブリテンをデザインする」 |
2024 10_11 プレス内覧会の説明会、プレスリリース、 「テレンス・コンラン モダン・ブリテンをデザインする」 図録等よりの抜粋文章です。 |
「本展の見どころ」 |
目 次 / Contents |
'2024 10_11 「テレンス・コンラン モダン・ブリテンをデザインする」 報道内覧会展示風景・ギャラリートーク、プレスリリース、図録の抜粋文でご紹介しています。 |
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【 1. デザイナー、コンランのはじまり Beginning as a Designer 】 19 世紀後半イギリスのアーツ・アンド・クラフツ運動に始まった暮らしへの意識が息を吹き返すと、斜陽だったテキスタイルをはじめとするデザイン産業にも活気が戻ってきました。 若きコンランは不況にあっても職を得て、英国祭で自作デザインを発表したことを機に活躍の場を広げます。 |
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第二次世界大戦後のイギリスでブリティッシュ・ポップアートが生まれた頃、コンランはその先導者エドゥアルド・パオロッツィからテキスタイル・デザインを学びました。 政府による文化施策 「英国祭」 などが開催されたことが追い風となって斜陽だったテキスタイルをはじめとするデザイン産業が活気づくと、コンランが手がけたテキスタイルや食器のパターン・デザインが注目されるようになりました。 また、家具の輸入販売に加え、鉄・木・籐を用いた椅子やキャビネットの製作販売をおこない、テイストメーカーとしての評価も得ていきます。 |
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右・1-1 「手作りの押し花集 『ザ・ワイルド・フラワー』」 テレンス・コンラン 1941 複写(インク・ペン、紙、有機物)/ ・1-2 『アメリカ動物誌 3』 より蝶と蛾の挿絵 1880 複写(印刷物) Terence Conran Arehive. the Design Museum 010 | 011 /左・1-8 「テキスタイル 《モビール》」 patt.d. テレンス・コンラン c.1952 コットン Target Gallery, London 018 | 019 |
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・010 | 011 1945 Age 14 終戦 5 ヶ月前、ドーセット州のブライアンストン・スクールに通いはじめ、恩師となる彫刻家ドン・ポッターから彫刻、金属細工、陶芸を学び、ものづくりの喜びに触れた。 この地でふれた野花や蝶の自然の美しさは、コンランが終生大事にしたインスピレーション源である。 10 歳の時につくつた押し花集 『ザ・ワイルド・フラワー』 / 昆虫博士だったひいおじいさんからもらった 『アメリカ大陸動物誌3』(1880 年)より / 018 | 019 1950 ・1-8 テキスタイル 《モビール》(エジンバラ・ウィーヴァース社)/ テキスタイル 《チェッカーズ》(デイヴィッド・ホワイトヘッド社)抽象美術の影響を受けた点と線を多用するデザインは、イギリスのテキスタイル業界に新風を吹き込んだ。 |
'2024 10_11 「テレンス・コンラン モダン・ブリテンをデザインする」 報道内覧会展示風景・ギャラリートーク、プレスリリース、図録の抜粋文でご紹介しています。 |
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【 3. 食とレストラン Food and Restaurants】 イギリスの食事事情は長く衰退していましたが、新鮮な食材の入手が可能になると、コンランは 1980 年代後半から本格的なレストラン事業に乗り出し、高級レストランからカジュアルなカフェまでさまざまな食体験の場を提供し始めました。 イタリア料理やフランス料理も意識しつつ、イギリスの伝統食材にハーブやスパイスを取り入れた 「モダン・ブリティシュ」 の料理スタイルをイギリスに定着させます。 コンランのこだわりは強く、レストランのコンセプトや内装はもちろん、ロゴ、メニュー、灰皿やマッチ箱などのアイテム、そしてスタッフの征服までディレクションするほどでした。 |
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再開発事業を進めるバトラーズ・ワーフ界隈でのレストラン、「ル・ポン・ドゥ・ラ・トゥール」 を開店。 タワー・ブリッジの景色を目の前にモダン・ヨーロピアン料理を完璧なサービスで提供する、ロンドン屈指のレストランとなり、1997 年には トニー・ブレア元首相とビル・クリントンが会食した。 「コンラン・レストラン」 社設立。 本格的にレストラン業に注力していく。 |
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左 146 | 147 ・1 「主要レストラン地図」1998 年の広報紙のために描かれたルシンダ・ロジャースによる水彩画の地図には、コンランが手がけた主要なレストランが描かれている。 / 右 114 | 115 「ザ・コンランショップ」 東京オープン当初 (2002 年より 「ザ・コンランショツプ 新宿本店」 に改称) |
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・「146 | 147」 ホスピタリティ業界誌 『ケータラー・アンド・ホテルキーパー』 にて、英国で最も影響力のあるレストラン経営者に選ばれる。 自著 『テレンス・コンラン・オン・レストラン』 でそのノウハウを惜しみなく紹介しているように、成功した経営者である前に何よりも食にまつわる文化を愛し、広めてきたといえよう。 「ザ・コンランショップ名古屋店開店」・「114 | 115」 新宿パワータワーに 「ザ・コンランショップ」 東京店がオープン、日本はバブル崩壊の打撃を受けるさなかであったが、ファッションやアートで炯眼をえた若者らが海外の本物のデザインにふれる随一の拠点となり、その影響力は多大であった。 2 年後には福岡店、ドイツのハンブルグに開店。 |
・画像をクリックすると 「8. 未来にむけて Future for Design 」 の章の拡大ページに移ります。 |
サー・テレンス・オルビー・コンラン Sir Terene Orby Conran 1931-2020 |
【 テレンス・コンラン Terence Conran 1931-2020 】 略歴の抜粋 |
・1931 年 10月 4 日、サリー州イーシャーに生まれる。一家は空襲を避け、ロンドンからハンプシャー州リップフックに移り住み、近隣のハイフィールド・スクールに通う。
好奇心旺盛で描いたり作ったりが大好きなコンランは、13 歳の時にはすでに精巧な船や列車の模型など作ったりしていたが、金属旋盤での作業中に片目を怪我し、以来ほとんど見えないままである。 |
日本におけるプロジェクト Projects in Japan 1980 年代から 1990 年にかけてバブル経済を謳歌した日本では、ファッションを中心に華々しい消費文化が隆盛しました。建築やプロダクトデザインなどの分野で世界的評価を得る成果も生み出されました。 そしてバブル崩壊の余韻が残る 1994 年、ザ・コンランショップは日本初上陸。 これを機にコンランは日本でのプロジェクトに携わるようになります。 赤坂のアークヒルズ内の 「アークヒルズクラブ」 内装デザインに始まり、リゾートホテル 「二期倶楽部」 や六本木ヒルズのレジデンス棟などを手がけます。 2019 年、グローブ、トロッター社から限定販売されたトラベルケースは、旅の思い出やアイディアスケッチで埋め尽くされたコンラン最晩年のデザインとなりました。 |
お問合せ:03-3212-2485 |
参考資料:「テレンス・コンラン モダン・ブリテンをデザインする」展 プレス説明会、図録、Press Release.、チラシ他。 |
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